代表プロフィール

井坂泰成(いさかやすしげ)


MiNO1ファシリテーションオフィス代表
ファシリテーター・対話力トレーナー
(教育ファシリテーション修士)

1969年 神戸市生まれ
東京大学文学部卒
NHK(ディレクター)、国際協力NGO、JICA、コンサルティング会社等を経て独立。
アフリカでの地域開発援助事業のマネジメント経験を通して、一人一人の主体性を引き
出しながら「チーム」を育てるためのコミュニケーションの重要性を認識し、ファシリ
テーションを専門に学ぶ。

行政による市民ワークショップや、企業の課題解決・経営方針策定等の会議のファシリ
テーター、及び、ファシリテーションスキル、ファシリテーター型(支援型)リーダー
シップ等を教える研修講師として活動している。マスコミ出身ならではのわかりやすい
説明、ファシリテーション専門家としての気づき・やる気を引き出す参加体験型研修、
柔らかい人当たりに定評がある。

CTIジャパン・コーチ養成講座応用コース修了
南山大学大学院人間文化研究科教育ファシリテーション専攻修了

神戸学院大学非常勤講師(2015年〜2020年)
南山大学非常勤講師(2021年度より)
岐阜県不破郡垂井町在住(2014年より移住)

ライフヒストリー

<幼少期>
「あんなところに家あるの?」と言われる三宮駅付近の下町で育ち、
子供の頃は、漫画さえあればずっと一人で読んでるインドア派で、
友達と遊ぶ時は女子たちとゴム飛びやあや取りをするのが好きなタイプでした。

中学、高校と受験をして、大学からは東京へ。

とにかく郷里から離れ、一人暮らしがしたかったので、
「やっとこれで自由になれた〜」と喜んだのを覚えています(笑。

<学生時代>
大学では、サークルにはいくつか入るもあまり続かず、
学生自治団体の活動に明け暮れて、寮生でもあったので
毎晩呑んで語り明かす、という「遅れてきたバンカラ」みたいな
冴えない学生生活を送りました。

専攻は文学部ドイツ文学科だったのですが、ろくに勉強はしていませんので、
ドイツ語はろくにできません(笑。

読書感想文のような卒論を書いてどうにか卒業できました…。

<NHK時代>
私がいろんな大事なことを学んだと思うのは、
最初の職場であったNHKでの仕事を通してでした。

元々マスコミ志望ではありましたが、実は最初行きたかったのは出版社でした。
雑誌や書籍の編集者にぼんやりとですが、憧れていました。

しかし、軒並みダメで、テレビも受けようと思い(全然テレビ好きではなかったですが)、
たまたま運良く受かったのがNHKで、希望通りのディレクター職で採用されました。

ただ、元来性格はシャイな方ですので、本当に自分がテレビの世界でやっていけるのか、
自分から受けておきながら、実は最初は不安で仕方ありませんでした。
(やはり、マスコミ、周りを見ると社交的、外向的な人ばかりでした)

驚いたのは、NHKでは入社早々の時期から仕事を任されることです。

最初は地方局である鳥取放送局に配属され、
確か5月か6月にはもう早速1本のリポート(5分程度ですが)を制作させられました。

こんな大学出たてのペーペーに、いいんですか!?と驚き戸惑いつつ、
企画提案から取材、構成、撮影、編集と、一通りの仕事を先輩に教わりながらやって、
ついには自分が作った稚拙な番組が放送されてしまいました💦。

今思えば、先輩・上司の皆さんは本当に寛容だったなと感謝するばかりですが、
そんな経験を重ねるうち、段々生意気にもなり、色々提案して制作できるようになりました。

地域の市井の人を取り上げるドキュメンタリー番組や、クローズアップ現代等の報道番組、
そして、ゆく年くる年等の生中継番組等、腕はともかくたくさんの番組を作らせてもらいました。

(だから、今自信のない新入社員の皆さんにも、チャレンジする機会を与えてあげれば、
 きっと誰でも自信を持ち、成長していけるものと、自分の経験から思っています。)

そして、4年間の鳥取局勤務を経て東京に異動になりました。

まずは朝のニュース番組「おはよう日本」で国際ニュースを担当。
夜中に出勤したり、泊まり勤務があったりと昼夜逆転生活で体調がおかしくなりましたが、
海外情報や英語を使う仕事は好きでしたので刺激的な毎日を送っていました。

その後、「衛星ハイビジョン局」に異動となり、海外紀行番組や国際中継番組等の
大型番組の制作を担当することになりました。

パプアニューギニアの「ホタルの樹」。
東欧のロマ(ジプシー)の旅生活や音楽紀行。
シルクロードや地中海からの生中継。

海外での長期ロケや、大勢のスタッフ・出演者を統括するプロジェクト等、
貴重な経験をさせてたくさんさせてもらいました。

地味な私にとっては、この3年間がNHK時代のハイライトと言っていいでしょう(笑。

しかし、です。

実は、心の中では「やりたいことは本当は少し違うんだよなぁ」という違和感を常に抱えていました。

確かに文化的なことも好きで、やりがいは感じてはいたのですが、
本当はもっと途上国の問題、中でも、子供たちの大変な状況を、
少しでも改善できるように、番組にして伝えたいという思いがありました。

それで、アフガニスタンの戦争孤児の支援をしている団体と出会ったことをきっかけに、
現地に自分のお金で訪れ、ボランティア活動と取材をしました。

その時見た光景や子供たちとの出会いが、その後の私の人生を変えるきっかけになりました。

そうして、同国の戦争孤児のことを伝える番組の企画を提案しました。

報道番組の枠は別の部署の管轄だったので、最初は難色を示されましたが、
挫けずに修正を重ねて出し続けた結果、何とか認められそうな感触が得られました。

しかし、タイミングが悪かったのです。
岡山局という地方局への転勤の辞令が下りました。

それは、もはやその企画はできないことを意味します。
地方局では地方局の話題を扱わなければならないからです。

岡山局では自分の役割を受け入れて仕事をしましたが、
心の中では悔しさと物足りなさを抱え、悶々とする日々を過ごしました。

その頃から、このままでいいのだろうか?自分は本当は何がしたいのか?
ずっとディレクターを、テレビの仕事を続けたいのか?と自問自答するようになりました。

安定した、高給の、社会的な地位もある仕事。
辞めていいのか?まだやり残したことはないか?後悔しないか?

考えあぐね、結論を出すまでに2年かかりました。
出した結論は、「私はテレビの仕事をずっと続けたいわけではない」でした。

先のことははっきりしているわけではないけど、「伝える」仕事から、
人と関わって「助ける」仕事、自分が直接状況を少しでも変える仕事に移ってみよう。

いろんなことを失っても、先のことは不安でも、
自分に正直に生きてみようと思い、退職する決断をしました。

2004年、35歳の時のことでした。

「後悔はしなかったんですか?」とよく聞かれます。

私は辞めた時の気分をよく覚えています。
それはそれはとてもスッキリした、晴れ晴れとした気分でした。

ですので、後悔は全くありません。
唯一あるとすれば、「なんでもっと早く辞めなかったんだ?」ということの方です(笑。

ただ、振り返るに、このNHKでの10年間は、私にとっては言わば「青春時代」で、
本当に得難い経験をさせてもらって、多くの事を学ばせてもらい、人間的にも成長できた
貴重な時間でした。心から感謝しています。

<国際協力時代>
退職後は、しばらくは、先述のアフガニスタン戦争孤児の支援をする団体で働きました。
しかし、やがて団体自体が経済的に継続できなくなり、やむなく離れざるを得なくなりました。

その後、一時期フリーの映像ディレクターとして映像制作の仕事をしましたが、
ある国際協力NGOの駐在職員募集の求人に応募し、そこにお世話になることになりました。

実は、そのNGOは、自分がNHK在職中に取材した事がある団体でした。
その時はもちろんそんな展開になるとは思っておらず、ご縁の不思議さを思ったものです。

そして、アフリカのザンビアという国に駐在代表・事業統括として派遣され、
2年半のプロジェクトを任されることになりました。

そのプロジェクトは、都市貧困地域で感染症と貧困の対策に取り組むもので、
地域住民を医療ボランティアとして養成、組織化する事が柱の「住民参加型」援助事業でした。

援助と言っても、ただお金や物を与えるのではなく、技術を教えるだけでもなく、
現地の住民自身が課題解決に持続的に取り組んでいくことを促し、
それが仕組みとして定着することを、この事業は目指していました。

途上国への援助事業にもいろんなタイプがありますが、近年は援助効果の持続性が重視され、
住民参加型の事業が増えています。

私もそちらの方に共感するのですが、「言うは易し、行うは難し」です。

住民ボランティアと、その前に彼らを教育する事務所のスタッフが、
どうしたら円滑に、自発的に動いてくれるか?
その関わり方には散々悩みました。

こちらが主導しなければ事は始まらない。
かと言って、こちらの方針通り指示していくと、
「今度は何をしてくれるのか?」と依存的にさせてしまう。

また、文化や価値観が異なり、遅刻は当たり前で、お金のトラブルも日常茶飯事。
信頼していたスタッフに裏切られたり、予想外の問題が日々発生し、
毎日がトラブルシューティングの連続でした。

そんな中で、次第に私も関わり方を変え、スタッフとの信頼関係を築くことを重視して
コミュニケーションを増やすことにしました。

積極的に雑談し、毎朝朝礼をして進捗と予定を確かめつつ気持ちを一つにし、
定例ミーティングでは日々の問題についてスタッフの意見を積極的に聴くようにしました。

彼らはみんなよく話すので、一体どれだけミーティングに時間を費やしたかわかりません(笑。

そうしてチームワークを高めていったおかげで、最終的には、住民ボランティアたちが
自発的に会の規約を作成して自ら組織化して動き出し、また、新たな国際的資金の獲得によって
事業が拡大した等、プロジェクトは一応成功に終わりました。

アフリカでのこうした経験を通して、私は「人を動かすには、こちらの考え方とコミュニケーションの仕方が鍵だ」と痛感し、ファシリテーションを専門に学ぼうと思うようになりました。

話し合うことをしっかり行なったおかげで、良きチームをつくり、事業を成功させることができました。

一方で、私が成果に囚われすぎて、ミスの多い一部のスタッフに冷たく当たってしまい、
最後はギクシャクとした関係でお別れしたことに後悔も残りました。
(帰国時の機内で「もっと優しくすればよかった…」と泣いたほどです)

今なら思います。

まず、人間関係だよ、と。信頼関係だよ、と。
それがあって成果が生み出せるのだよ、と。

私は、自分が感じた後悔の後味の悪さを誰にも味わってほしくない。
逆に、話し合う事で生み出せる豊かさこそを味わってほしい。

そんな想いが、今のファシリテーターとしての自分につながっています。

そんな意味で、このアフリカでの国際協力の経験もまた、
自分にとっては貴重な経験であり、感謝しています。

MiNO1ファシリテーションオフィス